コーヒーブレイク その自動車の背景・・・

私は普段、第一乳臼歯のような軽自動車より小さな車を足代わりにしています。おつかい、はたまた家族を病院へ送迎したり乳幼児検診の仕事などに出かけるときに使用しています。先日、すぐ前方を走っていたのがフォルクスワーゲン・ビートルだったので、その後姿をまじまじと見つめる機会がありました。その車は私の自動車と同様、車体の後ろにエンジンがあって後輪駆動です。40年以上前のいわゆるRR車です。同じ後部エンジン後輪駆動、よく考えてみると私が日ごろ使っているフィアット500もこのドイツの大プロパガンダ車の影響を少なからず受けているんだろうなあ、と感慨深く・・・。そこで革新的なあの形、、あの「フォルクス・ワーゲン・ビートル」の車開発にまつわる事についてRespect、ちょっとコーヒーブレイクとしてお話をしてみたいと思います。

まず第二次世界大戦で敗北したドイツですが、この直後イギリスにワーゲン工場の地域が占領されたんですね。「タイプⅠ」という名前で少数生産されましたがイギリス側は「つまらんクルマだ」と将来性を評価せず、結果的にイギリスに吸収されずに済んだわけです。イギリスはあるドイツ人にワーゲン工場の再建を命じてトンズラ状態になるわけですが、このドイツ人がタダ者ではなかったんです。戦前はBMWで航空機エンジンの設計に携わっていて、オペルとアメリカのGMで抜群のビジネスセンスを発揮していた人物だったんです。このハインリッヒ・ノルトホフ博士が1948年、VWの社長となります。

この新しい社長はオペルにいた時代にワーゲンを敵視していたんですが、クルマの部品を丹念に点検し、あらゆる走行テストを行ってみて結局「凄いクルマだ」と驚嘆し頭を下げたといいます。その後、アメリカに数台輸出されましたが自動車業界からは依然冷ややかな目で見られていました。評論家もあまり高い評価をしなかったようですが、年を追うごとに販売台数は増えて12年間で100万台以上売れてしまうことになるんですね。しかもその間、販売に関わる広告は一切行っていないんです。つまり、「あのクルマは凄いぞ」と口コミで大衆間に広がっていったわけです。皮肉にも戦前にヒトラーとポルシェ博士がかつて情熱を傾けて開発した大衆車は、戦争勃発によってドイツ国民の手に渡るチャンスが与えられずにアメリカで先にヒットしてしまうわけです。

このクルマの発案者「アドルフ・ヒトラー」は、なぜ大衆車の開発に力を入れていたのでしょうか。それはドイツ国内の道路整備の遅れと国内での自動車保有台数が他国に比べて少なかったからだ、と一般的にはいわれています。アウトバーンを作り、富裕層の移動手段であったクルマを大衆の手の届くものにすることで国力を世界に示そうということだったんですね。「一家に一台」というスローガンによってヒトラーは国民の絶大な支持を受けることになります。しかし、ヒトラーは後に勃発する戦争を視野に入れた大規模な心理作戦を展開していたとも言えます。アウトバーンは軍の迅速な移動をも目的としており、この大衆車開発は他国へのアピールであるとともに、国民から「戦費を募る」という意味を含んでいたといえるからです。また、開発のリーダーであるポルシェ博士は以前からレーシングカーやスポーツカーの開発に関与していた人物です。ヒトラーはメルセデスが大好きで、特にスーパーチャージャーの付いたメルセデスはヒトラーのお気に入りだったようです。

このスーパーチャージャーもポルシェ博士が開発したものです。そしてメルセデスSSKなどのスポーツカーも開発しています。この優秀な開発者が戦時中には戦車を開発することになるわけです。タイガー重戦車や駆逐戦車フェルディナント、超重戦車マウスなどをポルシェ博士が開発しています。もちろんワーゲンも軍用小型車キューベルワーゲンやシュビムワーゲンに改造され多戦線で活躍することになります。「国民車」開発をネタにしポルシェ博士を虜にし、後の兵器開発へ加担させることにも成功したわけですね。さて、ヒトラーの掲げる美味しそうな「マニフェスト」によって、戦前のドイツ国民は自分達にも自動車が買える、と希望に胸をふくらませ「国民車」ワーゲンのカタログに見入り、予約購入で33万人の労働者が2億8000マルクを支払ったんですね。ところが、カネを払ってもクルマはすぐ納車されないんです。もちろん一括で支払える人はいなかったので、いわゆる積み立て式支払いという方法を政府が提示したんですね。

クルマの代金が990マルク。それで毎週5マルクづつ払って4年後に納車される、という方法です。細かく言うと、このクルマを買いたい場合はドイツ労働戦線の組合員になる必要があって、毎週5マルクを組合に収めて「証紙」を受け取り「スタンプ・ブック」に貼るわけです。そして990マルク分の証紙がたまったら晴れて納車となる手はず。華々しくベルリン・モーターショーで「国民車」のお披露目がされ、夢のスペックカタログが国民にばら撒かれたのが1938年で、皆こぞって虎の子を毎週払ってみると、その翌年1939年に「戦争勃発」とはいったいどういうことなのか・・。全てヒトラーの計算どうりに戦費が集まり事が進んだ、そのように見えてしまいますね。結局、ドイツ国民の人達は誰もワーゲンを手にできなかったんです(泣)。「最大の犠牲者」となるのは何時の世も「一般庶民」という部分にやるせなさを感じますが・・・

なにやらお話の内容が重くなってきましたね。今回はこのへんで・・

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